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コラム連載 ・ 視鬼

【視鬼のコラム】「めんどくさい」で先延ばした小銭が、山になって崩れていく

小さな綻びを繕わぬ者に、大きな福は預けられぬ

コラム連載
視鬼畏怖・警告ろうそくの火のむこうから、目をそらしたくなる本質を鋭く突く警告の語り手。主な発信:TikTok ・ プロフィールを見る →

視鬼(しき)じゃ。今日は、そなたが日に何度も、心のなかで小さくつぶやいておるであろう、ある一言の話をする。――「めんどくさい」。使うておらぬのに、月々引かれつづける払い。あとで見ようと放っておいた、小さな請求書。整理せねばと思いながら、積み上がっていく紙の山。確かめれば済むのに、なんとなく気が重くて、見送っておるあれこれ。悪気はなかろう。忙しさもあろう。ただの、気の重さであろう。じゃがな、私にはこう視える。その「めんどくさい」で見送った一つひとつは、たしかに小さい。じゃが、小さいからこそ、そなたは積み上がっていくのに気づかぬ。そして、小銭のような綻びが、いつのまにか山となり、足もとで、静かに崩れはじめる。今日は、その一言の正体を、一枚ずつ剥がしにいく。耳が痛いのは承知の上。じゃが、痛むところにこそ、崩れかけた山を、崩す前に組み直す、その手立てが隠れておるのじゃ。

この記事のポイント・お金にまつわる小さな手続きや確認を、つい後回しにしてしまう人へのコラムです
・「めんどくさい」で見送る一つひとつは小さくても、積もれば山になって崩れていくことに気づくためのものです
・厳しい言葉のなかに、救いを込めています。責めて終わりにはしません
・本コラムは縁起・言い伝えをもとにした読みものです

視鬼畏怖・警告

今日は、そなたが日々、心のなかで小さくつぶやいておるであろう、ある一言の話をする。悪気はない。ただの後回し、ただの気の重さであろう。じゃが、その一言で見送った小さなことどもが、そなたの知らぬ間に積み上がり、いつか静かに崩れかかっておるとしたら――聞かずに済ませられるか。よう聞いておくれ。

小さいから見送る――じゃが、小さいから、積もるのに気づかぬ

まず、この「めんどくさい」の、いちばんたちの悪いところから突きつけよう。そなたが後回しにするものは、たいてい、一つひとつが小さい。数百円の払い。ほんの数分の手続き。見ればすぐわかる、小さな確認。――小さいから、「まあ、あとでいい」と見送れる。ところがな、小さいからこそ、それが積み上がっていくことに、そなたは気づけぬのじゃ。ここが、恐ろしい。

大きな損なら、すぐ目につく。慌てて手を打つ。じゃが、月に数百円の無駄は、痛くもかゆくもない。だから、放っておく。放っておけるから、いつまでも続く。数百円が、一年で数千円になり、数年で万を超えても、月々の額が小さいままだから、そなたは、その山の高さに、最後まで気づかぬ。――小さな綻びは、痛みを伴わずに、そなたの懐から、こっそりと、じゃが絶え間なく、こぼれつづける。血が出ぬ傷ほど、深くなるまで気づけぬ。それと同じことよ。

そなたは、けっしてだらしない者ではないのかもしれぬ。大きなことには、ちゃんと向き合える者かもしれぬ。じゃが、金というものは、大きな決断より、こういう「小さくて、痛まなくて、放っておけること」の積み重ねで、静かに漏れていくのじゃ。この、痛まぬ漏れに、まず気づいてほしい。」

見覚えはないか――「あとでやろう」の山と、見ぬふりの請求

少し、そなたの日々を覗かせてもらおう。――もう使うておらぬのに、なんとなく続けておる、月々の払いは、ないか。「そのうち解約しよう」と思うたまま、何ヶ月、いや何年、引かれつづけておるものは。……手続きの、たった数分がめんどうで、その数分を惜しんだために、そなたは、何十倍もの銭を、静かに手放してきておらぬか。

あるいは、届いた紙。開けて確かめれば数分で済むのに、なんとなく気が重くて、机の隅に伏せて置いた、あの一枚。「あとで見よう」と積んだ山が、今、どれほどの高さになっておる。見ぬふりをしておるあいだにも、期日は過ぎ、割増しがつき、小さかったはずのものが、じわりと大きくなっておるかもしれぬ。……見覚えは、ないか。

ここで、よう考えてみよ。それらを見送ったとき、そなたが惜しんだのは、たかだか数分の手間じゃ。じゃが、その数分を惜しんだために手放したものは、数分どころではない。「めんどくさい」は、目先のわずかな手間を惜しんで、その何倍もの銭と、後日の重い気分を、先へ先へと積み上げていく取り引きじゃ。しかも、その勘定書は、必ず、あとでまとめて回ってくる。私が、いちばん案じておるのは、そこよ。」

「めんどくさい」の下に隠れた、本当の気持ち

ここで、そなたの胸の奥を、もう一枚めくろう。「めんどくさい」――この一言は、たいてい、別の気持ちの替え玉じゃ。そなたの「めんどくさい」の下には、どの本音が隠れておる。

ひとつは、「向き合うのが、こわい」じゃ。その請求を開けば、思うたより多い額を、突きつけられるかもしれぬ。確かめれば、自分の懐の心細さを、直視することになるかもしれぬ。だから、「めんどくさい」の蓋をして、見ずに済ませておく。ふたつめは、「自信がない」。手続きのやり方がわからぬ、間違えたらどうしよう、うまくできぬかもしれぬ――そういう小さな不安を、「めんどくさい」の一言で、そっと覆い隠しておる。みっつめは、「今の楽を、手放したくない」。今この瞬間の、めんどうを避けたい気持ちが、後日の大きな面倒より、勝ってしまう。目先の楽が、いつも、未来の自分を質に入れておるのじゃ。

どれも、弱さではない。人の心の、当たり前の働きじゃ。じゃがな、替え玉の「めんどくさい」で蓋をしつづけるうちに、その下の「こわい」も「自信がない」も、ますます大きく育っていく。開けずにおる請求は、想像のなかで、実際より恐ろしいものに膨れ上がる。――そなたが本当に手を焼いておるのは、その手続きそのものではない。手をつけずに、頭の隅で、じくじくと重くなりつづけておる、その気がかりのほうじゃ。」

先延ばしにした気がかりは、利息をつけて重くなる

「めんどくさい」で見送ることの、いちばん高い代金を教えよう。それは、失う銭のことだけではない。――先延ばしにした気がかりは、そなたの頭の隅に居座り、日に日に、利息をつけて重くなることじゃ。

やらねばと思うておることを、やらずに抱えておるのは、じつに疲れるものよ。片づけていないその一件は、ふとした折に、頭をよぎる。「ああ、あれをやらねば」「まだ手をつけておらぬ」。その小さな気がかりが、一つ、二つ、三つと積もると、それだけで、心はいつも、うっすら重い。手をつけておらぬ用事の数だけ、そなたは、見えぬ荷物を背負うて歩いておる。「あとでやろう」と積むたびに、そなたは、片づけの手間だけでなく、「まだ片づいておらぬ」という重石まで、未来の自分に背負わせておるのじゃ。

これは、脅しではない。むしろ、そなたの背を押すために言うておる。考えてもみよ。もし、その気がかりを、思い切って一つ片づけたら――どうなる。銭の漏れが止まるだけではない。あの、頭の隅の重石が、すっと消える。心が、ふっと軽くなる。じつは、先延ばしにしておる者ほど、その「片づいた後の軽さ」を、久しく味わうておらぬのじゃ。片づけの手間より、片づいた後の軽さのほうが、はるかに大きい。その差引きを、そなたはまだ、勘定に入れておらぬだけよ。」

小さな綻びを放つ手には、金運の“流れ”も滞る

金運の巡りというものを、水の流れにたとえて語り継がれてきた。うるおいのある暮らしとは、水がよどみなく巡っておる暮らしのことじゃ。ところが、「めんどくさい」で放り出された小さな綻びは、その流れのあちこちに、小さな詰まりをこしらえる。――使うておらぬ払いは、水がこっそり漏れ出す穴じゃ。見ぬふりの請求は、流れをせき止める、小さなゴミじゃ。積み上がった紙の山は、水路にたまった泥じゃ。

一つひとつは、小さい。じゃが、詰まりが増えるほど、そなたの暮らしの水の流れは、よどみ、澱んでいく。金の巡りは、古来「よどみを嫌い、流れをこのむ」と言われる。手入れの行き届いた、さらさらと流れる水路には、次の水が気持ちよく流れこむ。じゃが、あちこち詰まり、澱んだ水路には、新しい水も、入るのをためらう。――小さな綻びを放っておくことは、目先の数百円を漏らすだけでなく、そなたの暮らし全体の“巡りのよさ”を、少しずつ濁らせていくのじゃ。

逆に言えば、じゃ。小さな詰まりを、ひとつ、またひとつと取り除いていく者の水路は、日ごとに澄み、流れをよくしていく。大きな元手はいらぬ。今日、ひとつの詰まりを取り除く。それだけで、そなたの巡りは、澱みを一つ減らし、少しだけ、流れを取り戻すのじゃ。」

小さな手入れを託せぬ手に、大きな福は預けられぬ

もうひとつ、静かに、じゃが確かに突いておかねばならぬことがある。昔から、こう言い伝えられておる。――小さなものを、ぞんざいに扱う者には、大きなものは巡ってこぬ、とな。これは、ただの説教ではない。理にかなうた話じゃ。

考えてもみよ。もし、そなたが誰かに、大切なものを託すとする。相手が、日ごろ、小さなものを平気で放り出し、綻びを繕わず、手もとを乱雑にしておる者だとしたら――そなたは、その手に、大切なものを預けたいと思うか。……思わぬであろう。「この手に渡せば、これもまた、放っておかれる」と、案じてしまう。福の巡りも、これと同じよ。日ごろ、小さな払いすら管理できず、小さな綻びも繕えぬ手に、大きな福を渡しても、こぼされ、放り出されるのが目に見えておる。だから、大きな福は、その手を、そっと避けて通る。

これは、脅しではない。むしろ、希望の話じゃ。裏を返せば、こういうことよ。――小さなものを、丁寧に扱える者。小さな綻びを、まめに繕える者。小さな払いを、きちんと見張れる者。その手は、「これなら安心して託せる」と見込まれる。小さな手入れの積み重ねこそが、大きな福を迎え入れる“器”を、静かに育てていくのじゃ。今、そなたが繕う小さな綻びの一つひとつは、来たるべき大きな福のための、器づくりよ。軽く見るな。」

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なぜ、先延ばしをやめられぬのか――“今”は痛まぬからじゃ

厳しく突いておるが、そなたを責めておるのではない。「めんどくさい」で先延ばしするのが、やめられぬのには、ちゃんと理由がある。――先延ばしにしても、“今この瞬間”は、痛まぬからじゃ。

後回しの、いちばんずるいところは、これよ。今日、手をつけずにおいても、今日のうちは、何も困らぬ。損の勘定書が回ってくるのは、ずっと先。だから、今日の自分は、めんどうを避けた分だけ、楽ができる。痛みは、未来の自分が引き受ける。人の心は、目の前の楽を、遠い先の痛みより、はるかに重く感じるようにできておる。だから、つい、未来の自分に、ツケを回してしまう。これは、意志の弱さというより、心のもって生まれた癖よ。

じゃがな、その「今は痛まぬ」楽には、確かな代金がついておる。未来の自分は、そなたと地続きの、同じそなたじゃ。今日ツケを回された未来のそなたは、積もった山の前で、ため息をつくことになる。しかも、山は、放っておいた日数の分だけ、大きく、崩しにくくなっておる。――今日の楽は、未来のそなたからの、前借りにすぎぬ。しかも、利息つきの、な。その利息を払うのも、結局は、そなた自身なのじゃ。」

「あとでやる」を、「今、二分だけ」に置き換えてみよ

では、どうする。すべての綻びを、今日いちどに繕え、とは言わぬ。そんな荒療治は続かぬ。かわりに、「あとでやる」と積みそうになった、まさにその瞬間、「今、二分だけ手をつける」に置き換える。これだけでよい。

丸ごと片づけようと思うから、腰が重い。じゃが、「二分だけ」なら、動ける。使うておらぬ払いの、解約の入り口を開くだけ。伏せてある請求の、封を切るだけ。積んだ紙の、いちばん上の一枚だけ、見る。――全部やろうとせず、「最初の二分」だけに手をつける。不思議なもので、いったん手をつけてしまえば、「なんだ、こんなものか」と、するすると片づいてしまうことが多い。いちばん重いのは、やること自体ではなく、やる前の“気の重さ”じゃ。その気の重さは、手をつけた瞬間に、たいてい溶けて消える。

そして、ひとつ片づけたら、その「軽くなった感じ」を、しっかり味わえ。頭の隅の重石が、ひとつ消えた、あの軽さをな。この軽さを覚えた者は、次の一つも、片づけたくなる。片づけるほど、軽くなる。軽くなるほど、心に余裕が生まれ、金の巡りにも、目が向くようになる。――「あとで」を「今、二分」に変えるだけで、心の向きが変わり、暮らしの流れが、澱みを一つずつ、取り戻しはじめる。金運とは、まずもって、この“手入れの積み重ね”の話なのじゃ。」

どこから手をつけるか――そなたの“詰まりの癖”を知れ

とはいえ、いざ手をつけようにも、自分がどこで詰まりやすいのか、どんなものを後回しにしがちなのか、その癖は、自分ではなかなか見えぬものじゃ。払いの管理でつまずく者もおれば、紙の整理でつまずく者もおる。こわくて見ぬ者もおれば、自信がなくて動けぬ者もおる。詰まりの癖が違えば、繕い方の“はじめの一手”も、違うてくる。

金運の社の金運タイプ診断は、そなたが金の手入れと、どう向き合いやすいか、その傾向を映す鏡じゃ。自分の癖を知れば、「だから私は、いつもこの手のことを後回しにしておったのか」と、腑に落ちる。責めるためではない。まず、どの詰まりから手をつければ、いちばん流れがよくなるかを、見定めるためじゃ。

そして、朝いちばんに今日の金運をのぞくのも、先延ばしを断つ良い足がかりになる。占いや吉日は、面倒を避ける口実にする道具ではない。「今日は、後回しにしておるものを、ひとつだけ、二分手をつける」と、その日ひとつ、自分に小さな約束をするための杭じゃ。すがるためではなく、今日の一手を後押しするために使え。それが、縁起の正しい使い道というものよ。迷うたときはおみくじを一度引いて、出た言葉を、今日ひとつ綻びを繕う合言葉にするのも一興じゃ。」

結びに――今日繕う小さな綻びが、大きな福の器をつくる

最後に、この読みものを開いてくれたそなたへ、問いをひとつ残す。難しいことは何もいらぬ。今日一日、こう自分に問うてみよ。――「私が“めんどくさい”で見送ってきたものの中で、二分あれば、今日、手をつけられるものは、どれか」とな。

ひとつでよい。今日、ひとつだけ、繕え。使うておらぬ払いを、ひとつ止める。伏せた請求を、ひとつ開ける。積んだ紙を、ひとつ片づける。その一つは、まことに小さい。じゃが、その小さな一手が、漏れをひとつ止め、詰まりをひとつ取り除き、頭の隅の重石をひとつ下ろす。そして何より――「私は、小さな綻びを、放っておかぬ者じゃ」という、新しい己の姿を、そなた自身に、一つ、刻みこむ。この積み重ねが、やがて、大きな福を安心して迎えられる、そなたの器を育てていく。

私は、甘い言葉は言わぬ。じゃが、山が崩れる前には、必ず袖を引く。今、そなたの袖を引いておるのは、そのためじゃ。――小さな綻びを、あなどるな。じゃが、恐れることもない。小さいということは、繕うのもまた、小さな手間で済むということじゃ。積み上がって崩れる前の、まだ小さな今のうちに、ひとつずつ、繕うていけばよい。小さな綻びを繕える者の暮らしは澄んで流れ、放っておく者の暮らしは澱んで滞る。同じ暮らしを持っても、小さな手入れひとつで、巡りが、まるで違うてくる。私は、そう視ておる。視鬼のコラムは、また次の耳の痛い話を持って、ここで待っておる。積み上がって苦しくなったら、いつでも戻ってこい。何度でも、崩す前の一手を、指してやる。」

※本記事は占い・風水・古くからの言い伝えを、娯楽の範囲でご紹介するものです。記載の内容は効果や結果を保証するものではありません。宝くじ等の当選を保証するものではなく、ゲン担ぎ・縁起としてお楽しみください。暦(吉日)は流派・暦により差が出る場合があるため、実際の日付は最新の暦でご確認ください。健康・体調に関する判断は専門家にご相談ください。一部にプロモーション(PR)を含みます。