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コラム連載 ・ 視鬼

【視鬼のコラム】誘いを断れず、付き合いの飲みで財布と刻を削られるそなたへ

「顔をつなぐ」と言うそなたの顔は、いつ自分の方を向く

コラム連載
視鬼畏怖・警告ろうそくの火のむこうから、目をそらしたくなる本質を鋭く突く警告の語り手。主な発信:TikTok ・ プロフィールを見る →

視鬼(しき)じゃ。今日は、そなたの手帳に、気の重い印がついておる、あの晩の話をする。――誘いが来る。気は、乗らぬ。財布も、心も、今日は静かに休みたい。じゃが、そなたの指は、断りの文を打ちかけては、消す。「断ったら、悪く思われぬか」「せっかく誘うてくれたのに」「顔をつないでおかねば、今後に響く」――そうして、結局そなたは、行きたくもない席へ、財布と刻を抱えて、腰を下ろす。席では、笑うておる。話も合わせておる。じゃが、帰り道――財布は軽くなり、心はずしりと重い。「なぜ、また行ってしもうたのか」と、夜道でひとりごちる。見覚えは、ないか。今日は、その“断れぬ”の正体を、一枚ずつ剥がしにいく。「顔をつなぐ」という立派な言葉の下に、そなたが本当は何を差し出しておるのか。耳が痛いのは承知の上。じゃが、痛むところにこそ、そなたが自分の刻と財布を、自分の手に取り戻す鍵が隠れておるのじゃ。

この記事のポイント・気の乗らない誘いを断れず、付き合いで財布と時間を削られる人へ、その正体を鋭く突くコラムです
・「顔をつなぐ」という言葉が、じつは「嫌われたくない」の言い換えになっていないかを問います
・厳しい言葉のなかに、救いを込めています。人との縁を否定はしません
・本コラムは縁起・言い伝えをもとにした読みものです

視鬼畏怖・警告

今日は、そなたが「大人の付き合いじゃ」と言うて、断りきれずにおる、あの席の話をする。人と交わることは、尊い。良い縁は、宝じゃ。それは、わしとて重々知っておる。じゃがな、そなたが差し出しておるものが、良い縁を結ぶための供物ではなく、ただ“断る怖さ”から逃げるための代金だとしたら――聞かずに済ませられるか。よう聞いておくれ。

「断れぬ」の正体は、たいてい「嫌われたくない」じゃ

まず、そなたが自分にかけておる、その言葉から突きつけよう。――「顔をつなぐため」「付き合いだから」「大人の務め」。立派な理由が、いくつも並ぶ。じゃがな、その一枚下をめくってみよ。そこにおるのは、たいてい、もっと素朴で、もっと弱い一つの思いじゃ。――「嫌われたくない」

断ったら、悪く思われるのではないか。付き合いの悪い奴だと、陰で言われるのではないか。次から、誘われなくなるのではないか。――この“嫌われる怖さ”から逃れるために、そなたは、財布と刻を差し出して、その場をやり過ごす。「顔をつなぐ」は、聞こえがよい。じゃが、その多くは、「嫌われる怖さに、銭で蓋をしておる」だけのことよ。

これは、弱さではない。人に嫌われたくないと願うのは、人の心の、ごく当たり前の働きじゃ。じゃがな、その怖さに手綱を握られておるかぎり、そなたの財布も、そなたの夜も、そなた自身のものにはならぬ。他人にどう思われるかで財布を開く――この型は、じつは「みんな持っておる」で財布を開く者と、根がひとつよ。それは「みんな持っておる」で財布を開く者は、みんなと同じ財布のままで、みっちり袖を引いた。あわせて聞け。」

見覚えはないか――帰り道の、あの「なぜ来たのか」

少し、そなたのあの晩を、覗かせてもらおう。――席は、それなりに賑やかじゃ。そなたも、笑うておる。話を合わせ、注文にうなずき、頃合いを見て相づちを打つ。じゃが、そなたの胸の隅では、ずっと、別の声がしておらぬか。「早う、帰りたい」「明日にひびく」「この話、わしには要らぬ」。

そして、お開き。財布から、また一枚、二枚と抜けていく。帰り道――足取りは重く、心はもっと重い。「なぜ、また来てしもうたのか」「あの銭と、あの数時間があれば、わしは……」。この、帰り道の“なぜ来たのか”を、そなたは、いったい何度、繰り返してきた。見覚えは、ないか。

ここで、よう考えてみよ。その席で、そなたが本当に得たものは、何じゃ。深まった縁か。心の通う語らいか。……気の乗らぬまま座り、時計ばかり気にしておった席から、そんなものが生まれることは、まずない。そなたが得たのは、「断らずに済んだ」という、つかの間の安心だけ。そして、その安心と引き換えに、財布と、二度と戻らぬ数時間と、次の日の力までを、差し出してきた。「断る気まずさ」を、たった数時間避けるために、そなたは、そのはるかに大きな代金を、後から払わされておるのじゃ。私が案じておるのは、そこよ。」

削られておるのは、財布だけではない――“刻”じゃ

付き合いの席で、そなたが失うておるものを、正しく数えておこう。まず、財布。これは、目に見える。じゃが、いちばん大きく削られておるのは、目に見えぬほう――“刻(とき)”じゃ。

気の乗らぬ席に、三時間座る。その三時間は、二度と戻らぬ。加えて、そこへ行くまでの支度、道中、そして帰ってからの疲れ。翌朝の、力の出ぬ半日。――一つの席は、席そのものの数時間だけでなく、その前後の刻まで、根こそぎ持っていく。財布から抜けた銭は、また稼げば戻る。じゃが、削られた刻は、天地がひっくり返っても、戻っては来ぬ。そなたは、いちばん戻らぬものを、いちばん気軽に、差し出しておる

この“刻を軽んじる”癖の恐ろしさは、以前「時間がない」と言う口が、そなたから金も遠ざけておるで、たっぷり語った。「時間がない」と言いながら、断れば空くはずの数時間を、気の乗らぬ席へ、易々と差し出しておらぬか。金運の巡りは、古来「自分の刻を大切に扱い、良いところへ用いる者の背を押す」と語り継がれておる。刻を、断る怖さの代金として散らす者の手からは、その巡りも、静かにこぼれていく。」

「行かねば縁が切れる」――その縁は、はじめから細い

そなたを席に縛りつける、いちばん強い思いに、名をつけておこう。――「ここで断ったら、縁が切れる」じゃ。この一言が、そなたの腰を、椅子に貼りつける。じゃがな、ここで、静かに問うてみよ。一度断ったくらいで切れる縁とは、いったい、どれほどの縁じゃ。

まことに太い縁というものは、一度や二度断ったくらいで、切れはせぬ。「今日は都合が悪うてな、また今度な」――そう言うても、変わらず声をかけてくる者。それこそが、そなたが大切にすべき縁じゃ。逆に、一度の“否”で、すっと離れていく者との縁は――厳しい言い方をするが、はじめから、その程度の細さだったのよ。断ってみて初めて、どの縁が本物で、どの縁が“付き合い”という名の惰性だったかが、はっきりと視えてくる

それに、よう考えてみよ。そなたが、来たくもない席に、気の乗らぬ顔で座っておって、相手にとって、それが良い縁になると思うか。ならぬ。心のこもらぬ相づちは、相手にも、うっすら伝わっておる。良い縁とは、義理で数を重ねて結ぶものではない。心の通う一つを、丁寧に育てて結ぶものじゃ。数だけ多くて中身の薄い付き合いに刻を散らすより、本物の一つに、その刻を注げ。金運の縁は、たいてい、こういう“心の通うた縁”のほうから、巡ってくるものよ。」

「見栄」で座った席は、そなたを一度も守らぬ

付き合いの席には、もう一つ、厄介な魔物が潜んでおる。――「見栄」じゃ。断れぬ理由の裏に、「ここで顔を出しておけば、格好がつく」「あの集まりに呼ばれておると思われたい」――そんな見栄が、こっそり混じっておらぬか。

見栄で開く財布の話は、以前見栄で払う金は、そなたを一度も守ってくれぬで、骨の髄まで語った。見栄で座った席は、あのときと同じよ。その場では、確かに格好がつく。「顔が広い」と思われる、心地よさもある。じゃが、その心地よさは、家に帰った途端、消える。残るのは、軽くなった財布と、削られた刻と、翌日の疲れだけ。見栄で結んだ縁は、いざそなたが困ったとき、一つとして、そなたを守ってはくれぬ。

心得ておけ。顔の広さと、縁の深さは、まるで別ものじゃ。百人と浅く盃を交わすより、三人と、心の底で通じておるほうが、はるかに、そなたを豊かにする。困ったとき、駆けつけてくれるのは、盃を交わした百人ではない。心を交わした三人のほうよ。付き合いの数を誇る者ほど、いざというとき、ひとりぼっちになりがちじゃ。数を追う見栄を捨て、深さを選べ。そこに、刻と財布を注げ。」

「断る」は、冷たさではない――“選ぶ”ことじゃ

そなたが、断ることを、これほどまでに恐れるのは、心のどこかで「断る=冷たい人間」と思うておるからじゃろう。ここを、はっきり解いておく。――断ることは、冷たさではない。“選ぶ”ことじゃ。

そなたの刻には、限りがある。一日は、二十四刻しかない。財布にも、限りがある。ならば、その限りあるものを、どこに注ぐかを“選ぶ”のは、当たり前のことよ。一つを選ぶとは、他を選ばぬということ。あれもこれもと、全ての誘いに頷いておっては、そなたのいちばん大切なもの――家族との刻、自分を育てる刻、心から会いたい人との刻――に、注ぐものが、何も残らぬ。全部に「はい」と言う者は、じつは、いちばん大切なものに「はい」と言えておらぬのじゃ。

「今日は、行かぬ」と選ぶことは、その空いた刻と銭を、「もっと大切な何か」に手渡すことじゃ。断りは、拒絶ではない。“もっと大事なものへの、贈りもの”よ。そう思えたとき、そなたの「断る」は、後ろめたいものから、堂々としたものに変わる。冷たいから断るのではない。大切なものを、ちゃんと大切にしたいから、断るのじゃ。この筋を、胸に刻んでおけ。」

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断り方には、角の立たぬ“作法”がある

とはいえ、「断れと言われても、角が立つのが怖いのじゃ」――そなたの、その声も聞こえておる。案ずるな。断りには、相手を傷つけず、縁も損なわぬ“作法”がある。二つ、授けておこう。

一つ。断るときは、「否」に、必ず一つ“温かみ”を添えよ。「行けぬ」だけでは、角が立つ。「誘うてくれて、まことに嬉しい。じゃが、その日はどうしても都合がつかぬ。また、ぜひ声をかけてくれ」――こう、感謝と、次への含みを添える。断るのは“この誘い”であって、“そなたとの縁”ではない。それが伝われば、角は立たぬ。二つ。迷う暇を、自分に与えるな。「行くべきか、断るべきか」と長く悩むから、気まずさが膨らみ、結局“流されて”しまう。誘いが来たら、自分のなかに、あらかじめ物差しを一つ持っておけ。「これは、心から行きたいか」――即座に、そう自分に問う。心が「否」なら、迷わず、温かく断る。

この二つの作法を身につければ、断りは、もはや恐ろしいものではなくなる。むしろ、断れる者のほうが、周りから一目置かれる。なぜなら、断れる者の「行く」には、本物の重みが宿るからじゃ。いつも来る者の一票より、めったに来ぬ者の一票のほうが、席では重い。――断れる者こそ、じつは、いちばん縁を大切にできる者なのよ。」

今日の一手――“次の一つ”を、心に問うてから返せ

ここまで聞いて、「よし、これからは全部断るぞ」と、逆に振り切るな。それでは、大切な縁まで切ってしまう。今日、そなたがやることは、たった一つでよい。

――次に誘いが来たとき、すぐに「はい」と返す前に、たった一呼吸だけ、自分の胸に問え。「わしは、心からここへ行きたいか。それとも、断るのが怖いだけか」と。そして、もし答えが「怖いだけ」なら――その一つだけでよいから、今日は、温かく断ってみよ。「誘うてくれて嬉しい。じゃが今日は見送る。また声をかけてくれ」とな。全部を断る必要はない。たった一つ、“怖さで頷いておった一つ”を、自分の意思で断る。それが、今日の一手じゃ。

この「一つ、断ってみる」には、財布を守る以上の意味がある。そなたは今日、生まれて初めて、他人の顔色ではなく、自分の心に従って、刻の行き先を選ぶ。この“自分で選んだ”という一度きりの体験が、そなたの心に、「わしの刻は、わしのものじゃ」という、確かな手ざわりを刻む。金運とは、まずもって、この“自分の刻と財布を、自分で握っておる”という手ざわりの話なのじゃ。大きな元手はいらぬ。今日、一つ、怖さで頷くのをやめる。それだけで、そなたの夜は、そなたの手に戻りはじめる。」

自分が“何に断れぬか”を知れば、流されぬ

一つ断れたら、次は「なぜ私は、あの手の誘いに、いつも流されるのか」を、静かに省みよ。人が断れぬ急所は、みな違う。目上の誘いに、めっぽう弱い者。大人数の場に、逆らえぬ者。「みんな行く」と聞くと、取り残されるのが怖い者――急所が違えば、身の守り方も違うてくる。

金運の社の金運タイプ診断は、そなたが金や人付き合いと、どう向き合いやすいか、その傾向を映す鏡じゃ。自分の急所を知れば、「だから私は、あの場面でいつも断れなんだのか」と腑に落ちる。責めるためではない。次に流されそうになったとき、「ああ、これがわしの急所じゃ」と見抜き、踏みとどまるためじゃ。

そして、月のはじめや、気の重い誘いが続く時期には、開運カレンダーを眺めて、「この月は、自分と大切な人のための刻を、これだけは守る」と、先に杭を打っておくのもよい。朝いちばんに今日の金運をのぞいて、「今日は、心に問うてから返す」と自分に約束するのも一興じゃ。占いや吉日は、当てるための道具ではない。「今日は、自分の刻を、自分で選ぶ」と、その日ひとつ、自分に約束するための杭じゃ。すがるためではなく、流されぬための錨(いかり)に使え。それが、縁起の正しい使い方というものよ。」

わしの覚え書き――三つだけ、持ち帰れ

今日の話は、これで終いじゃ。じゃが、読んで頷いて終わりでは、次の誘いで、そなたはまた「はい」と打ってしまう。後で立ち返れるよう、わしの言葉を、三つだけ、短く括って渡しておく。手帳の、いちばん目につくところに、書き写しておけ。

一、「顔をつなぐ」の下に、「嫌われたくない」が隠れておらぬか問え。――怖さに銭で蓋をするのを、付き合いと呼ぶな。
二、一度の“否”で切れる縁は、はじめから、その程度。――断ってみて初めて、本物の縁が視えてくる。数でなく、深さを選べ。
三、「断る」は冷たさでなく、“大切なものへの贈りもの”じゃ。――全部に「はい」と言う者は、いちばん大切なものに「はい」と言えておらぬ。

この三つを、誘いが来るたび思い出せる者は、二度と、怖さで刻を散らさぬ。自分の刻を握れる者のところにこそ、良い縁も、良い巡りも、落ち着いて訪れる。――覚えておけ。」

結びに――そなたの顔は、いつ、自分の方を向く

最後に、この読みものを開いてくれたそなたへ、問いをひとつ残す。この連載の副題にも掲げた、あの一言じゃ。――「“顔をつなぐ”と言い続けるそなたの顔は、いったい、いつ、自分の方を向くのじゃ」とな。

あちらへ顔を向け、こちらへ顔を向け、そなたは、人の顔色ばかり見て、日々を過ごしてきた。じゃが、そなたの顔を、いちばん見てほしがっておる者がおる。――そなた自身と、そなたが心から大切に思う、ごく少数の人じゃ。他人の誘いに顔を向けつづけて、その大切な者たちに、そなたはこのごろ、ちゃんと顔を向けておるか。厳しいようだが、これは救いじゃ。なぜなら、顔の向きは、生まれつきのものではない。今日から、いくらでも変えられるからじゃ。

私は、甘い言葉は言わぬ。じゃが、他人の顔色に刻を吸われ、疲れきって夜道を歩く者を、黙って見過ごしはせぬ。今、そなたの袖を引いておるのは、そのためよ。この視鬼の連載――使わぬものに払いつづける者への「解約するのがめんどうで」使わぬサブスクに毎月払い続けるそなたへ、そして“学び”を言い訳に動かぬ者への「自己投資だ」と言い訳し、教材とセミナーを買い続けるそなたへも、そなたが“自分の財布と刻を、自分の手に取り戻す”ための、同じ袖引きじゃ。あわせて読め。逃げたくなったら、いつでも戻ってこい。何度でも、袖を引いてやる。――なお、ここで語ったのは古(いにしえ)からの言い伝えと心の話であって、縁や福の巡りを請け合うものではない。誘いに頷くも断るも、その手綱は、いつでもそなた自身の手にあると心得よ。」

※本記事は占い・風水・古くからの言い伝えを、娯楽の範囲でご紹介するものです。記載の内容は効果や結果を保証するものではありません。宝くじ等の当選を保証するものではなく、ゲン担ぎ・縁起としてお楽しみください。暦(吉日)は流派・暦により差が出る場合があるため、実際の日付は最新の暦でご確認ください。健康・体調に関する判断は専門家にご相談ください。一部にプロモーション(PR)を含みます。